第19回 なぜ低学歴は葬式で大勢に参列させて迷惑をかけるのか?

緑川夕子(以下、緑川):千田さん、こんにちは。お久しぶりでございます。今回はお葬式についてお話を伺いたいと思います。


千田琢哉(以下、千田):葬式?ちょっと暗い話題だね。

葬式と聞いて俺がまず思い出すのは、沖仲仕の哲学者と呼ばれたエリック・ホッファーが「人間が本当に安らぎを覚えるのは、人を憐れむときだけである。」と言っていたことかな。でも誰もが必ず死ぬことを考えると、葬式の話を避けるのは人生から目を背ける行為かもしれないね。


緑川:千田さんならそう言っていただけると思いました。これは真夜中の雑談運営部に葬式について非常に長文の問い合わせが届いたのがきっかけなのですが、かなりインテリジェンスの高いお方のようで宗教的・哲学的な観点からも詳しく述べられていました。確かに目を背けるわけにはいかないとスタッフ一同頷きました。

そこで“困った時の千田さん”が浮かんで今回に至るわけです。中井も「こういう問題は千田さんじゃないとやっぱりダメでしょ」と言っていました。


◆低学歴ほど派手な葬式に憧れ、高学歴は密葬でサッと済ませる。◆

千田:“困った時の千田さん”か。これまたありがたい称号を拝受致します(笑)俺もこの歳になるまでいくつもの葬式に参列したけど、オブラートに包んで表現すると低学歴ほど派手な葬式をしたがるよね。もちろん元政府の要人で本人が頼んでもいないのに周囲が勝手に誰のお金だと思っているのか、ド派手な葬式をやらかすのは避けられないよ。どうせ裏で穢く癒着しまくってるんだろうけどさ(笑)

個人的にはお金の問題じゃなくて中曽根さんには不退転の意志の遺言で密葬、家族葬でこの世の腐った常識を覆してもらいたかった。コペルニクス的発想の転換で。トーマス・クーンのパラダイムシフト。


緑川:おっと、これまた冒頭から爆弾発言ですね。だからこそ千田さんじゃないとダメなんですが・・・

確かに私も最近身内の葬式に参列しましたが、学歴の低い方々は派手な葬式でした(笑)


千田:でしょ?もちろん中には例外もいるだろうけど、俺が経営コンサルタント時代に痛感したのは、低学歴で企業を創業したオーナーたち、偏差値の低い業界の毛並の悪い社長、先祖から引き継いだ土地持ちや遺産相続した人々は一般にド派手で下品な葬式をやりたがり、高学歴エリート、毛並の良い大企業の元社長はサッと家族葬を済ませたあとで静かにマスコミに報告というパターンが多いんだよな。これは別に悪気があって言っているわけじゃなくて、個別の事例を帰納的にルール化すると実際にそうなるとしか言いようがない。イメージで言えば東大法学部卒で日本マクドナルドを創業した藤田田さんは家族葬で質素に済ませ、低学歴で数店舗の飲食店を営んでいるようなオッサンはド派手な葬式をやりたがる傾向がある。またこういう毛並の悪いオッサンほど口角泡を飛ばしながら偉そうに本人とは何らご縁のない天下国家を語りたがるんだけど(笑)

一般人でもこれはほぼ当てはまるよ。ノンキャリ人生を歩んだ雑草ほど葬式を人生のピークにするために喚き散らし、関係の薄い人にも声をかけて参列してもらいたがる。ノンキャリ人生を歩む人は同じくノンキャリ同士の付き合いが多いから、他のノンキャリが死んだら自分が葬式に参列しないと自分が死んだ時には葬式に参列してもらえないという恐怖がある。ショボい人生しか歩めなかったありのままの事実が露呈するからせっせとあちこちのしがない人の葬式にまめに参列するんだよ。

キャリア人生を歩んだサラブレッドは質素にさっと人知れず密葬で済ませる。わざわざ葬式なんかに力を入れなくても、これまで歩んできた人生こそがまさに充実した天国だったわけだからね。お互いに社会的地位が高い人生を築くことに成功して時間の価値がわかっているから、わざわざ自分の見栄で周囲のキャリアたちに参列させて迷惑なんてかけないんだよ。

死んでからも小人は甘酒の如くねっとりといやらしい余韻を残し、君子は水の如くさっぱりとこの世を去る。感情抜きで静観して事実のみを吸い上げると面白いくらいに当てはまるよ。


緑川:ちょっと待ってくださいね。私が物心ついてから参列した葬式を思い返してみると、その法則に例外はありません。私の中ではノーベル賞級の発見です。でもどうして低学歴な人は派手な葬式に憧れるのでしょう。一般に低学歴なら分を弁えて質素な葬式でいいような気もしますが。


◆「終わり良ければ総て良し」は負け犬の発想。◆

千田:それはきっと「終わり良ければ総て良し」と洗脳されているからじゃないのかな。「終わり良ければ総て良し」って耳に心地良いけど、実際にはちょっとズルいよね。終わりだけラッキーで決めてあとはサボっても許してって感じでさ。無能な人ほどこういうお手軽なキャッチに引っかかっちゃうんだよ。


緑川:・・・と言いますと、終わりよりも大切なものが人生にはあるということですね。


千田:うん。俺はプロセスこそが人生だと思う。どんなに醜い死に様だろうと、たとえそれが孤独死で腐乱死体や白骨化してから見つかろうが、正々堂々とプロセスで結果を遺した人が一番偉い。だってそれが一番難易度高いんだもの。偏差値の低い業界の偏差値の低い社長がいくら年収5億稼いだところで、東大卒で年収500万の官僚の足元にも及ばない。年収100億稼ぐよりもABC予想を証明するほうが遥かに難易度は高くて価値があるわけよ。

結果だけを上っ面だけを誤魔化すのって、いかにも低学歴的なお手軽な発想。まあその証拠にしがない人間がいくら派手な葬式をやっても、結局一瞬で忘れ去られるでしょ。身内では何百万も使って「いい葬式を挙げたぞ」と悦に入っても、参列者の9割以上は「やっと終わったか、やれやれ・・・大した人物でもなかったくせに」と思って翌日にはすっかり忘れて日常に戻っているよ。


緑川:・・・た、確かにその通りですね。身内でもなければ深刻に悲しいとまでは思えませんね。昔から隣の家の子どもが亡くなるよりも、自宅のペットの死のほうが悲しいと言いますし。


千田:そうなんだよな。俺なんかサラリーマン時代に同じ職場の身内の葬式に参列した際に、「こんな赤の他人の死で俺の大切な時間を奪いやがって・・・」と本音を漏らしていた先輩を複数知っているし(笑)しかもやっぱり嫌な予感は的中して、低学歴は無理に人を集めて派手な葬式をやるから焼香も長い、長い。


緑川:どうして低い人たちってあんなに人を参列させたがるのでしょうかね。


千田:コンプレックスだろうね。人脈の質量ともにショボい人ほど人脈があるように見せたがるし、何も生きた証を遺せなかったしがない人生しか歩めなかった人ほど派手な葬式で埋め合わせようと必死になる。

就活でコミュ障ほど「コミュニケーション力には自信があります!」とアピールするし、ぼっちほど「私の強みは人脈です!」と言っちゃうようにね。

ほら、孤独で寂しくて何の実績も遺せなかったお年寄りが、最期は派手な葬式に憧れて某宗教団体に入る人もいるじゃない。本当にショボくてしがない人生だったけど、この宗教に入れば自分の葬式では何百人に参列してもらえることを期待して、生前に貯めに貯めた貯蓄から膨大なお布施や寄付金を払う。


緑川:・・・うっ。千田さん、鋭い。鋭過ぎます!まさに私の身内にそんな人がいますよ。確かに頭も良くなくてコンプレックスの塊ですが、その反動で宗教にハマって全財産没収されてしまいそうな勢いです。

でもよく考えたら通夜も入れてたった二日間で300万とか狂っていますよね。葬儀代って。中小企業向けのコンサルでも300万円払えば何ヶ月にもわたってプロジェクトを組んでくれると聞きます・・・。ハッキリ言って人材レベルとして優秀でも何でもない葬儀屋さんに300万とか普通に考えてあり得ないと思います。葬式なんて全部密葬でいいですよ。お墓も要りません。どうせ墓石会社はボロ儲けしているでしょうし。


◆長生きは恥ずかしい時代が到来するかも!?◆

千田:緑川さん、いつになく熱いね。きっと何かあったんだろうけどさ・・・。でも実際に当たっているよ。俺もコンサル時代に葬儀屋の経営相談に何件か乗ったことがあるけど、もし世間が儲けの実態を知ったら一揆やテロが起こるんじゃないかというくらいぼっていたよ(笑)

これは冗談じゃないから真面目に聴いてもらいたいんだけど、少子高齢社会の解決方法は簡単だよ。65歳を過ぎたら通院・入院禁止令を出せばいいんだ。これ以上の少子高齢化社会対策はないよ。もともと人類の心臓は約20億回しか脈打たないように自然界ではプログラミングされている。1秒で1回、1分で60回脈打つと考えるとこれがちょうど65歳。つまり延命治療とは医学界はサヨナラして、自然の摂理に従う時代が到来するということ。延命治療って辛いよ。

俺も身内で癌患者を何人も見てきたけど、癌それ自体で身体が衰退しているのではなく、癌の治療で“これぞ癌患者”というあの痛々しい惨めな衰退が始まっていたからね。

念のためこれは医者が悪いのではなく、世間がそれを求めているためにそうなっている。医者は模範解答に従っているだけだから。

たとえば65歳を過ぎて重病になって他者から死を提供してもらいたければモルヒネなどで安楽死を選んで、他人の手を煩わせず自分から死を選びたければ極限まで苦痛を抑えるよう研究された段階的な断食を選ぶとかね。

まあこういう話をすると決まって「生」に執着した低学歴が猛反発するけどね。真っ赤な顔をして青筋立てながら「人の命を何だと思っているんだ!」て。それってまるでキリスト教が弱者のルサンチマンを利用して成長したのと同じ構図なんだよな。協会の上層部である幹部連中は豊かな暮らしができる。人の寿命もこれと同じで、何も考えない低学歴に「長生きは素晴らしい」と洗脳しておくと、誰かが暴利を貪ることができるって気づかないと。


緑川:なるほど。千田琢哉レポートの『癌譚』を思い出しちゃいました(笑)「そんなことを言ってはいけないし、思ってもいけない。人はみな平等である。人の命に上下なんてない。」ですからね。要するに、世間の思想を変えないと世の中は変わらないということですね。


千田:そう。世の中の倫理や思想自体を根本的に変えないといけない時代が到来しているってことだと思うよ。

もう二十何年か前になると思うけど、東京大学の現代文で生命倫理と臓器移植を世に問う問題文が出題されたことがある。確か西谷修さんの新聞の記事からの出題だったと思う。それまでは「いくら脳死状態でも臓器移植なんてとんでもない」という風潮が根強かったのが、次第に「脳死で人が人らしく生きていると言えるか」「死にゆく身体より生き続ける身体で役立つほうが生き続けていると言えるのではないか」といった風潮が芽生えてきた。

それで2009年には臓器移植法が改定されて「脳死は人の死である」と認められたんだよ。


緑川:へぇ~、そうだったんですね。今でも賛否はあるとは思いますが、倫理や思想ってとても大切なんですね。医療業界も哲学で動くというか・・・


千田:医療業界に限らず世界は哲学で動くよ。何が正しいのかなんて時代によってコロコロ変わるし、50年前の善が凶悪と見なされたり、50年前の凶悪が今は善と見なされたりするのはご存知の通り。戦争では敵軍を一人でも多く殺しまくった人間が圧倒的な善だし、平和で成熟した時代には、性別や出自に関係なく言論の自由も認められるようになる。どんなに冴えない人間でも平等という名の下につけ上がることができる。時代が時代ならその場で打ち首か射殺だよ。絶対に憶えておかないといけないのは道徳はとってもいい加減だということ。その時代の権力者やエリートが得をするように愚民を「これは善、これは悪」とお手軽に洗脳するだけ。すると愚民は「道徳警察」として勝手に無料で命がけで働いてくれる(笑)

世界の政治経済もすべては古今東西の哲学者の教えをベースにしているんだよ。企業経営者の経営理念だとか政治の方針である新自由主義もそうだね。紀元前ではプラトンが「政治は選ばれし哲人王が行うべし」と主張したんだけど、その点は正しいと俺も思う。


緑川:プラトンの提唱する「哲人王」って、確か頭脳明晰というだけじゃなくて人格者でもありましたよね。


千田:その通り。現在の政治家とは対極の私利私欲で動くような人間ではなく、究極の理想を描くことができてそれを生涯追求し続ける求道者。プラトンは哲人王を輩出するためにアカデメイアという教育機関を創り、そこから千年に一人の天才・アリストテレスが生まれたね。


緑川:天才で思い出したんですが、最近40代でお亡くなりになる逸材が多いと気づかされました。あえて名前を挙げませんがここ数年だけの話ではなく、過去何十年を遡っても私の見たところそうなんです。


◆人生そのものは虚しい。人は例外なく死に向かって生きている。◆

千田小説家の三島由紀夫は40代で自害したけど、彼は45歳までが肉体美を保つ限界と考えていたようだね。そう考えると40代というのは天才が死ぬのに一番美しい時期かもしれない。死後も天才が生み出した作品と若々しい印象が残るからね。

もちろん本人たちがそれを望んでいるとは限らないけど、天才らしいと言えば天才らしい死に様と言える。まあ俺の知る限り、90代や中には100歳を過ぎても生き続けた長寿型の天才もいるけど。ジョン・デューイ、パブロ・ピカソ、フリードリヒ・ハイエク、カール・ポパー、レヴィ=ストロース、ピーター・ドラッカー、中曽根康弘さんなんかがそうじゃないかな。天才は若くして死ぬか、長寿をまっとうするかのいずれか両極端の傾向が見られるかもしれないね。一度そういう研究・分析の成果を見てみたい。歴史的にも生物学的にも様々な方面から複眼的に。

まあ人間は必ず死ぬわけだし、死は特別なことではなくすぐそこに存在すると考えれば40代で死んでも別に特別なことでも何でもないよ。人間はホギャーとこの世に生まれ落ちた瞬間から、死という絶対のゴールが定められているから。

確かハイデガーも死を受容してこそダス・マン(=野次馬的でくだらない大衆)を抜け出せると述べていたね。


緑川:・・・この世に生まれ落ちた瞬間から、死、ですか。確かに反論の余地がなく全人類が背負っている例外のない自然界の摂理かもしれません。でもそう考えると私なんかはちょっと人生って虚しい気がしてきちゃいます。


千田:緑川さん、人生ってもともと虚しいものなんだよ。ニーチェが「永劫回帰」という概念を提唱しているんだけど、この世は延々と円環運動しているだけ。


緑川:“永劫回帰”ってたまに聞きますが、私は未だによく理解できていません。あれって、どういう意味なのでしょう?


千田:子どもの頃に遊んだビー玉やパチンコ玉をいくつかお菓子箱の蓋の裏側の上で転がすとぶつかり合って…あ、それよりも、大人はビリヤードのほうがイメージしやすいかな。もし真空状態で台に摩擦がないと仮定するとボールは永遠に転がり続けるよね。仮にボールは3つとしよう。“ポケット”と呼ばれる穴はないテーブルを特注して用意したとする。


緑川:確かにそれであれば空気抵抗も摩擦もないので、ボールは理論上台の上を延々とぶつかりながら転がり続けますよね・・・


千田:その状態で3つのボールがぶつかり合って様々な動きをするはずだけど、途轍もない長時間待っていれば最初とまったく同じパターンのボールの配置になる瞬間がやってくるのは理解できるかな?


緑川:あ、それ、直感でわかります!3つのボールがほんの一瞬だけ最初と同じ位置になるということですよね?最初にボールを突いてから1分とか1時間では無理かもしれませんが、数週間や数ヶ月、あるいは数年そのまま放置していればいずれ寸分違わず同じ位置になりそうですね。


千田:その通り。永劫回帰はニーチェも譬話として述べているだけだから、あくまでもイメージができればそれでいいよ。科学的根拠とかは不要。ひょっとしたら緑川さんの想像を絶する時間、数ヶ月とか数年どころか数万年や数億年単位の時間がかかるかもしれないけれど、いつかは完璧に同じ位置へとボールが戻るのをイメージできれば十分。

同じ位置になったボールは次の瞬間からまた最初の時と同じ動きをして転がり続けるから、延々と同じ軌道を繰り返すことになるよね。

人生もこれと同じだとニーチェは言っているんだよ。


緑川:え?人生がビリヤードのボールの動きと同じなんですか?どこがどう同じなのか私にはまだしっくりきませんが・・・


千田:ビリヤードのボールでもビー玉でも何でもいいんだけど、大切なことはこの世のすべては原子などの粒子でできているってこと。


緑川:は、はぁ・・・。確かにこの世のすべては粒子でできていますね。それがビリヤードのボールやビー玉とどんな関係があるのでしょうか?


千田:宇宙が生まれたのも、地球が生まれたのも、緑川さんと俺がこうして話しているのも、すべては粒子によるものだよ。

ちょっと想像してごらん。粒子のぶつかり合いや反応によって宇宙も地球も誕生したわけでしょ?ビッグバンという仮説も結局のところは粒子のぶつかり合いや反応によって生じたんだよね。宇宙という箱やビリヤード台の上で、桁違いの粒子同士がぶつかり合って生まれたり消えたりを延々と繰り返している。

粒子をビリヤードのボールやビー玉に置き換えてごらんよ。



緑川:途方もない時間がかかるかもしれませんが、それらは再び同じ配列になる瞬間がやってくる・・・つまりビッグバンだとか地球はまた発生して延々と繰り返されるということでしょうか?


千田:そうなんだ。宇宙の年齢は138億歳、地球の年齢は46億歳と言われているけれども、何兆年、何京年、それ以上の時間軸で考えると宇宙の誕生も地球の誕生も繰り返される可能性があるってこと。

この世のすべては粒子だから、ビリヤードのボールのように同じ配列になれば理論上は同じ現象が生じるからね。


緑川:感激です!こんなにわかりやすく教えていただけるなんて。ところで私とこうしてお話しさせていただけることがどうしてビリヤードのボールの動きと関係するのかについてはまだピンときていません(汗)


千田:簡単だよ。俺たちの身体も究極は粒子でできているでしょ?だから脳も粒子でできていることになる。こうして緑川さんと話をしているのは緑川さんと俺の頭の中の粒子が反応し合っているということ。ビリヤードのボールがぶつかり合うように、俺たちの頭の中で粒子がぶつかり合って言葉や発想が生じている。脳細胞の活性度合いや頭の回転、シナプスの接続の強弱なんかも全部そう。


緑川:それってもしかしたら、千田さんと私がこうして話しているこの瞬間は、いつかまた繰り返されるということでしょうか?こうして今話している内容も同じで、こうしたインタビュー記事も一字一句違わず・・・


千田:お、緑川さん、もう永劫回帰を完璧に理解できたんじゃないの?念のため繰り返すけどあくまでもニーチェは譬話、極論として永劫回帰を唱えたということをお忘れなく(笑)厳密には1μや1nメートルの微差が巡り巡って途轍もない大きな違いを生むバタフライ効果という考え方もある。北京で蝶が羽ばたくと、それが巡り巡ってニューヨークで嵐が起こるというやつね。

でも本当に永劫回帰ってよくできた仮説だよね。さすが天才の成せる業。

あと何兆年後か、何京年後か、さらに何兆乗や何京乗といった桁違いの時間を要するかもしれないけれど、ビッグバンはまた繰り返されて、宇宙が生まれ、地球も生まれ、その結果として緑川さんと俺が出逢い、またこうして同じ話をする瞬間がやってくる。

人気アニメの話のようにこの宇宙は一つではなく、複数の宇宙が存在するという仮説も「さもありなん」だと俺は思うよ。

この世は永劫回帰で円環運動をひたすら繰り返す。


緑川:なるほど。そう考えると確かに「人生は虚しい」と千田さんがおっしゃっていた理由がわかります。



◆死に際に「こんな人生だったら、もう一度あってもいいかな」と思えたら、最高の人生だ。◆

千田:まあこれもニーチェの哲学なんだけど、その虚しい人生を受容した上で、人は刹那の命に感謝して味わい尽くし、日々超人として生き、円環運動の中に自分の意思で挑んだ一瞬の断片を組み込むんだ。するとそれが円環運動としていずれまた巡ってくるわけだから、「まあこんな人生だったらもう一度あってもいいかもね」って、ぼんやりと思えるでしょ?そう感じながら微笑んで死んでいくのが最高の人生だということだね。

超人というのはスーパーマンのことじゃなくて、自分で人生の意義を見出し、日々昨日の自分を超えようと生きる人々のこと。強くなりたい、成長したいという自分の本能に嘘をついて逃げないこと。今この瞬間の時間と命に感謝して人生を味わい尽すこと。


緑川:ただ何となく食べて、何となく寝て、何となく働いて、何となく結婚して生涯を終えると、「人生って虚しい」「今度はもっとお金持ちに生まれたい」とか不平不満だらけで死んでいきそうですね。そんな死に方をすればもしあの世があれば確実に地獄行きっぽいですね(笑)


千田:緑川さんならもう気づくと思うんだけど、もしあの世があって地獄行きならそれが「永劫回帰」で繰り返されるということだからね。まさに無間地獄・阿鼻地獄だよ(笑)


緑川:せ、千田さん!それは笑えません。


千田:まあせっかく奇跡的に授かった命だから、ちゃんと燃やし尽くして死んだほうが絶対にお得だということだね。燃やし尽くすっていうのは化学反応と同じだから、それを意識した表現。粒子のぶつかり合いでちゃんと自分の命を燃やし尽くした人は、未練がましく無知蒙昧で卑しい派手な葬式なんて絶対にやらないってこと。

ダサい人生を歩んだ分際でその上さらに派手な葬式で大勢に参列させて迷惑をかけるんじゃなくて、ちゃんと生きて人知れず黙ってサッと死ぬ美学があってもいい。

人生は死に際なんかで絶対に決まらない。人生はプロセスで決まるのだから。



野卑な末人ほどド派手な冠婚葬祭がお好き。





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◆千田琢哉(せんだ・たくや) プロフィール

愛知県生まれ。岐阜県各務原市育ち。文筆家。
東北大学教育学部教育学科卒。
日系損害保険会社本部、大手経営コンサルティング会社勤務を経て独立。
コンサルティング会社では多くの業種業界におけるプロジェクトリーダーとして戦略策定からその実行支援に至るまで陣頭指揮を執る。
のべ3,300人のエグゼクティブと10,000人を超えるビジネスパーソンたちとの対話によって得た事実とそこで培った知恵を活かし、“タブーへの挑戦で、次代を創る”を自らのミッションとして執筆活動を行っている。
現在までの著書累計は340万部を超える(2020年11月現在)。


◆緑川夕子(みどりかわ・ゆうこ)  プロフィール

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